糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

ヴェルディエの「裁縫女」―ピエースとマルケット

(つづき)

ミノの学校では少女たちは卒業課題としてピエースとマルケットを作成したという。

ピエースは一枚の布の端から端まで裁縫の主な縫い目を刺したもので、様々な縫製の技法を集積したものだという。たぶん縫い方のサンプラーのようなものだと思う。しかし少女たちにとってピエースは即座に利用価値がなく、何の夢ももたらさなかったので、あまり保存されなかったそうだ。

一方マルケットは、正方形の刺繍用キャンバスにクロスステッチを施し、自分の名前や年齢、製作年などを刺したもので、これは少女たちにとって卒業直後の人生ですぐに役立つものだったという。

マルケットは嫁入り道具にイニシャルをしるし、下着に文字を入れ、シーツ類に番号をつけるのに役立った。「学校の勉強すべて、あの「女子の初等教育」、つまり書き方と算数の初歩は、裁縫の技術を通して教えられているかのようである―インクとペンではなく、糸と針で。そしてその教育は、小さな四角のキャンバスに、完全に納まるかのようでもある。」(p.177)

卒業直後から少女たちは嫁入り道具の準備をする。上記のように糸と針で「しるす」わけだが、それは「刺繍」ではなく、たったひとつのステッチで行われる「しるしのステッチ」なのだそうだ。全ての嫁入り道具にこの「しるしのステッチ」がほどこされていく。「しるしのステッチ」は「全然むずかしくないステッチ」であり、刺繍は「むずかしい作業で、多くの注意と忍耐が必要とされる」のだそうだ。

この違い、言葉ではわかるが、感覚的にはよくわからない。

白い布に白糸を刺す「白糸刺繍」などは、今でも上等な刺繍として知られるが、こういう刺繍はまさに装飾の極みと考えられ、余暇をもつ身分の証だった。ミノの少女たちはもちろん、こんな刺繍をすることはほとんどなかった。

こうした「しるす」作業は結婚まで続く。少女たちがマルケットを持ち「しるす」準備が整うのが12歳頃で、これは初潮の時期にあたる。ミノの言葉で「見る」は「月経」を指し、また「見る」は「しるし」を見ることでもある。「しるしをつける」は月経を迎えることの隠喩なのだそうだ。

「娘たちは、周期的に下着に血を記すようになると、マルケットを渡され、赤い糸のクロスステッチで、嫁入り道具にしるしをつけはじめる。しるすというみずからの定めを、娘たちは、体から布に置きかえているのだろうか―刺繍でおなじみの転写の方法を思い起こす―、一番深い、一番秘めた、アイデンティティを、書き写しながら―月経は「隠しごと」だった―。娘たちの血のしるしの転写である小さな規則正しいクロスステッチは寄り集まって娘たちの名を表わし、肌着の横糸の上、しるしの「見える」ところに、アイデンティティを固定させる。」(pp.182-183)

ここまで考えるとクロスステッチも恐ろしい・・・。幼稚園の袋物にうっかり赤いクロスステッチでお名前など刺してしまうのも、いやいや・・・。

さらに、クロスステッチは「クロス」「十文字」で、書き方を知らない人の署名を意味する。糸を数えてクロスを刺すことは、文字を書くことでもあり、数を数えることでもあった。またそれは月経の間隔を数える意味もあったという。

「だからしるしは、文字でも数字でもあり、布類は、女の体の定めの記憶を委ねられた場所である。(中略)布は刺繍をした本人よりも長命で、その人の名前が永遠に生きつづける唯一の場所である。布のしるしは、どんなに洗濯をしても取れない。血のしるしと同じである。」(p.183)

もう、うんざりである。しかし、重要な指摘に富んでいる。手芸の隠喩は根深いと改めて思う。

女のフィジオロジー―洗濯女・裁縫女・料理女 (1985年)

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