糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

「針々と、たんたんと」

2月末に訪れた国際芸術センター青森(ACAC)、呉夏枝×青森市所蔵作品展「針々と、たんたんと」のカタログを送っていただいた。

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この展覧会は、青森市教育委員会所蔵の民俗資料、特に布資料と、アーティストの呉夏枝さんが「向き合い」ながら展示を行っていくレジデンスの成果である。今では日本各地で行われているアーティスト・イン・レジデンス――は、アーティストがその土地に一定期間滞在し、制作を行っていく。土地の記憶、風景、人との関わりなどが制作のインスピレーションとなり、またそこに暮らす人たちとは異なるまなざしで表現をすることで新しい意味を生み出していくことにもなる。

青森には、こぎんや刺しこ、菱刺しなど生活に根ざした古くからの手仕事の技法がある。もちろん青森に限ったことではなく、その土地で暮らし生き抜くために必要な手仕事が各地にある。今では衣服は中央発信型の「流行」が大きな時間的・空間的流れを作っているのだが、近代までの衣服の多くは、素材や形態、色や模様まで含めて、その土地で暮らす人や暮さざるを得ない人々の、生活の知恵の集積であった。

 

この展覧会で拝見したものは、まさにそういった衣服であった。

レジデンスの形式はいろいろあると思うが、今回とても刺激的だったのは、呉さんがその滞在の時間の多くを古い衣服と向き合う時間に費やしたことだ。アーティストは自ら土地を体感し制作を行っていくわけだが、彼女はおそらく古い衣服そのものを眼差すことによって土地を知ろうとしたのだろう。凝視するように撮影されたこぎん刺の衣服は、針目まで鮮明に写されている。たぶん、私は自分の目では見えない布のイメージまで彼女の写真から読み取ることができると感じられた。

衣服を構成する要素は、生活の知恵の集積である――だからこそ、衣服をまなざすことから土地の記憶を読み込んでいくことができる。衣服の記憶にインスパイアされた彼女が見せてくれたのは、多くの手仕事に通底する「何か」であった。

 

今回の展覧会は、青森の古い衣服と呉夏枝さんの作品のコラボレーションになっていて、衣服と向き合う時間を経て浮かび上がった針目と、彼女自身の制作のプロセスがどこかでリンクしたのだと感じられる。たぶん、過去の手仕事の主体とつながる「何か」を彼女が見出したのだろう。

近代の古い生活の衣服と、現代テキスタイルアーティストの作品は、時代も目的も、素材も・・・いろいろと違うはずなのだが、呉さんのまなざしによってモノとして等価になっているようにも感じられた。それは布が持つ物質性を担保しつつも、織ることや縫うことに物語性を付与し、その時間を生きていくという意味で等価であるということかもしれない。

本当に美しい手仕事を拝見した・・・。