糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

チカップ美恵子さんの刺繍

アイヌ民族文化、特にアイヌの女性たちの手仕事について積極的に論じてきた一人にチカップ美恵子さんがいる。1948年釧路生まれで、2010年に亡くなられた。

チカップさんはお母さんからアイヌの刺繍の手ほどきを受け、そこから現代的表現へと展開された方である。今年北海道立近代美術館で開催された「アイヌアート」展でも多くの作品を拝見することができた。豊かな色彩とアイヌの人々の伝統的文様を駆使した作品は、古い「伝統」と現在を生きることの間で、また消されつつも生き延びることを選び取ったアイヌ文化のありようを強く私たちに訴えるものだった。

 

アイヌ文様刺繍のこころ』の中で、チカップさんが書かれた刺繍に関する記述には、いろいろと感じさせられることが多い。

「私が本格的にアイヌ文様刺繍に取り組んだのは二五歳のときだった。油絵は人物画を描いていたのであるが、私の力量ではとうていプロになれないと思った。一生を通してやれる仕事をしたい。そう決意したとき、母に習った刺繍なら、アイヌ民族である自分のアイデンティティも培っていけると思った。私は迷わず絵筆を捨てた。」(p.33)

 

画家を志した女性は数知れず、絵筆を捨てるという経験も男女問わずあっただろうことは簡単に推測できる。でも、上記のチカップさんの言葉は本当に象徴的だと思うのだ。

油絵(=西洋画)を学んでいた彼女は、一生の仕事として油絵より刺繍を選んだ。いわゆる絵画から手芸的な制作への転向は、実は女性の場合あまり珍しくない。私はそのことをジェンダーの問題として考えていて、女性たちの「ものづくり」「制作」という枠組みの中では「描くこと」と「縫うこと」の敷居が高くないためだと捉えている。あくまで比較の問題だが、少なくとも男性よりは境界線が曖昧なのだ。

チカップさんの場合、単に女性であることというより、それは自身の民族性の問題と深く関わった「転向」であった。しかし、もし男性であったら刺繍へは向かわず木彫りに行ったであろうと推察できるだけに、やはりここでもジェンダーの問題は重要だと考えるべきだろう。

 

本には、絵を描くのが好きだったというふうにしか書かれていないが、彼女はどうして最初に油絵という媒体を選んだのだろう。油絵を学んだことと、そこから転向したことは確実に彼女の刺繍作品に大きな影響を与えている(と私には思える)。油絵をどのように捉えて(西洋的な絵画?すでに「日本」に定着した王道の絵画?)彼女は絵筆を捨てる選択をしたのだろう。