魔除けとしてのアイヌ刺繍文様
縫うことには精神性が深く関わっている。もちろん全ての縫製に魂が宿っているなどということは現代社会では難しいのだが、少なくとも女性たちが縫い物をする姿の中に、何らかの思いを読み込もうとする傾向はずっとあるし、女性たちも自身が縫うことに思いを込める例は少なくない。
だから、簡単に手仕事は愛情の証などと言いたくないが、それが真実かどうかは別にして、様々な社会の中で「愛情の証」として記号的に機能してきたことは確かである。
チカップ美恵子は、次のように書いている。
「女性たちは子どものころから、砂に絵を描いて遊ぶようにアイヌ文様を習得していき、年ごろになって好きなひとができたときに、思いをこめて、刺繍をほどこす。
モレウ(ゆるやかに曲がるかたち)とアイウシ(とげのあるかたち)で組み合わされた文様には、病気や災いから身を守る魔除けの意味がある。恋人や夫、家族を守りたいとの思いが、その一針一針の線を強くした。呪術性のあるアイヌ文様は単なる装飾ではなかった。」(pp.39-40)
- 作者: チカップ美恵子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/07/20
- メディア: 単行本
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大変興味深いのは、曖昧な「愛情」に還元せず、「魔除け」という機能を挙げている点である。そして単なる装飾ではなく、呪術性があるということ。
それはすなわち「愛情」だろうと思う人もいるかもしれない。だが、逆を考えるとわかりやすい。現代社会で誰かを思って愛情表現として手芸をした時、私たちはそれを「呪術的」とか「魔除け」とは考えない。「念がこもってる」程度の笑い話にすることや「重い」と表現されるのは似たような発想だが、さすがに「呪」と表現することはないだろう。しかもそれは、とてもネガティブな評価だと考えられている。
チカップ美恵子が言う「魔除け」が、とてもポジティブで彼女自身のアイデンティティとして重要だったのは、アイヌの人々が歩んできた歴史の文脈による。一体アイヌの人々にとってなぜ呪術的な表現が重要で、かつ彼女たちはそれを拠り所にしなければならなかったのか・・・。