糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

シヌタップカ媛の針仕事

『神謡』に出てくるシヌタップカ媛の自叙の部分らしいが、私は原典には当たっていないけれど、気になるのでメモ。

 

『シヌタップカ(の山城)に、わが養姉われを育つるに、

その心を砕き労しつつ、われを斎き育て、侍づき

育てくれつつありたりけるが、今は(われ)やや長じたり

それより絹の断片に針をそへて、わが養姉われに与えんとてかく言ひぬ

「女というものは、針仕事をするものなれば、針仕事をせよ」と

いいつつ絹の切片に針をそへてわれに与うれば、

われ近く刺し遠く刺ししているうち、

大きなる布も掌ほどの大きさにぬひ縮めて

わが養姉にわれさし出だせばわれを(巧しと)誉めそやしてかくいえり;

「わが妹の君よ!わがいとしき妹御よ!

何と驚くべきほど、刺繍の巧みなる上に

容貌もよにすぐれて成人せることなるを、われ喜びに堪えず

なに事も上手に出来れば、なほ一入、われ嬉しくてたまらず」と、

わが養姉いいたりけれど、己が後ろに向きては(陰にては)

くすくす忍び笑いをしても、われは何とも思はずに暮らしいたりけるが

今は成女の紐を(われ)胸高に結ぶほどになりたり

それよりあれほどまで下手にてある故か、わが拙くなせるわが刺繍なりしを

針目の間に二重の明光(二重の光線)三重の光輝(三重の光線)さし映えて

そがために刺繍衣の光輝と美貌のかがやきとわが身の周囲に・・・』

 

この先は岡村は脚注に書いてくれていないので、引用元に当たらないとだめみたい。

「刺繍の巧みなる」ことと「容貌もよにすぐれて」いることは、ある意味同一の価値を持っているということか。女はこの両方が揃うと喜ばれるらしい・・・。

 

アイヌの衣文化 (1979年)

アイヌの衣文化 (1979年)