糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

女はどこでも針仕事ができる

北海道立近代美術館の『アイヌ・アート―風のかたりべ』展の図録で、担当学芸員の五十嵐聡美さんがアイヌの女性たちの針仕事について書いていて大変興味深い。

アイヌの女性たちは「チシポ」(本当はシが小さい文字)と呼ばれる針入れを胸元に下げていて、「女は針箱ひとつで仕事ができるから、どこでも針仕事ができるのよ」という作家さんの言葉を引いている。そして、そうした針仕事は女性の仕事であると。

「女性は針と糸と布で、祖母から母親へさらに娘へと女系の文様を伝えた」のであり、それは女性たちの祈りとぬくもりの文化であるとする。

 

手仕事の問題を考えるとき、いつもこういう言説に私はひっかかりを感じてしまう。確かに針仕事は女性の仕事だったのだと思うし、そういう資料もたくさんある。でも、それは女性たちが生きる集団の中で、自己を規定して生き抜くための手段だったのではないかと感じるのだ。

もちろん母として娘に教え、女性としての必須科目として仕事を覚えていくことは、その集団内での役割であったろうし、そこには単なる義務感だけではなく仕事への尊厳や美意識もあったと思う。そうでなければ女性たちは生きるために必ずしも要しない手のかかる仕事をすることはなかったと思うのだ。

しかし、「どこでも針仕事ができる」ことは、いつでもどこでも針仕事をしなければならないことの裏返しだし、針と糸と布で文様を伝えるという手間をかけずとも文様は受け継げたかもしれないのに、そこでテキスタイルというメディアを用いたのは、他の伝達メディアに比して圧倒的に布と関わる時間が長かったということではないのだろうか。

 

難しい問題だけど、やはりメディアが限られているということは、何らかの制約がそこにあったと考えるべきだと思う。縫い続けなければ生活が成り立たない、その役割を誰かがしなければ生きられない、そういったことからしか真剣な技能の伝承は叶わないのではないかと感じられるのだ。

アイヌの女性たちの手仕事に関する言説は、一体誰によって、どの段階で集められたのだろう。いろいろ気になる・・・。