糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

平澤屏山筆「アイヌ手芸の図」

 

平澤屏山(ひらさわ びょうざん・1822年~1876年)は、アイヌの人々と生活を共にしながら、アイヌ絵を描いていたとされる幕末の絵師である。

アイヌ手芸の図」は実見したことがないのだが、金田一京助の『アイヌ芸術<服装編>』にモノクロ図版が掲載されている。

アイヌ芸術〈服装編〉 (1973年)

アイヌ芸術〈服装編〉 (1973年)

 本文中で図版を解説しているのだが、あまりに淡々としていて素っ気な過ぎる・・・。

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「中央上から白髪の老翁が左端のものと一別の挨拶を取りかはして居る図。右端は彼等の神幤としてのイナオ(削りかけ)を製作中の所。その下は盆などを細工して居るもの。その下部は頭髪の禿げた婦人が楡の皮を噛んで絲として傍の籠に整理された絲として入れてゐるところを示す。」p.27

 

基本的には情景描写以上の説明はなく、まるですぐそこで実際にアイヌの人々が手仕事をしていても同じ説明をしそうなほどだ。本の著者からすれば、これはアイヌの人々の暮らしを知るための「資料」なのだから、仕方あるまい。

 

でも、いろいろ気になるところはある。

 まず中央上にいかにも長老的な男性が置かれていること。基本的に男性は画面の上部にいる。下部に女性たちが配置されていることとの対比が気になる。

次に「手芸」とは書いてあるが、もちろん今の「手芸」ではなくて、広く生活に関わる手仕事全般を意味しているわけで、日常の労働を描いたと理解できること。平澤屏山の生没年から考えても、「手芸」の語が意味する範囲は適切だと思う。

中央に二人の子どもがいて、一人は犬を懐に入れ、もうひとりは鹿の皮を背負っているのだが、この子たちが右側の男性たちの方へ視線を向けていることから、4人(大人2人+子ども2人)の輪が出来上がっている。それに対して女性たちの労働空間には対話や交渉が生まれてこない。なんでだろう。

一番気になるのは、右中段にいる「禿げた婦人」なのだが、金田一はこのように表現しているが、「髪がない」ことはアイヌの女性たちにとってどのような意味があったのかがわからない。和人から見れば女性で髪がないことは、かなりネガティブな記号になってしまうが、一体どうなのだろう。

また、この女性の表情は他の女性たちに比べて、かなり「男性的」に描かれている。女性たちよりも、上の男性の顔に近いのだ。とすると、もしかするとネガティブに描かれているのかも・・・。

 

いろいろ気になっちゃうので、この絵、なんとか見たいものです。今も見られるのかなあ・・・。