抵抗の文様
なぜアイヌの女性たちは、アイヌ文様刺繍(=イカラカラ)を衣裳の襟や袖口、裾、背中などに施し、また機織器や糸巻きにまで文様を施して魔神の侵入を警戒したのだろう。
『アイヌ文様刺繍のこころ』の中で、次のように書かれている。
- 作者: チカップ美恵子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/07/20
- メディア: 単行本
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「イカラカラには、アイヌ・モシリ(人間の大地)から、北海道へと変遷を余儀なくされてきた女性たちの抵抗の歴史が送り込まれていた。」
「アイヌ民族はこの世に存在するすべてを敬い、育むという、自然界のカムイたちと一体となった生活を送ってきた。いのちのめぐりの”環”を大事に、大事にしてきたのだ。いのちのめぐりの“環”がこわされていくにつれて、それに抵抗するかのようにイカラカラは力強さを増していく。女性たちが織りなすそれらのイカラカラは侵略者たちによってもたらされた病魔(性病、天然痘、結核、トラホームなど)の侵入を防ぎ、それらを威嚇するための魔除けとなったのである。」(p.44)
つまり、チカップ美恵子によれば、アイヌ刺繍文様は、アイヌの人々の生活やアイヌの社会の状態を反映しながら変化するということだと理解できる。少なくとも彼女はそう思っているということか。
これは「北海道」となることを余儀なくされた時期、そこでのイカラカラの変化のプロセスを見ないとわからないのだが、侵略による共同体の変化に対する抵抗表現としてイカラカラが存在していたということになる。単に「侵略」と言ってしまうと非常に政治的に感じられてしまうが、むしろ暮らしを守り、共同体のために祈るという抵抗のあり方のような気がする。
明確に共同体を襲う病魔はおそらくその一つの例に過ぎないだろう。自らの暮らしが他者の侵入・侵略によって壊されていくことを感じた時、アイヌの女性たちは、より強い刺繍をしたのだ。それはもしかすると侵略者にとって痛くも痒くもない抵抗だったかもしれないが、その祈りの文脈を今消さないようにしなければ、真に「侵略」が完了してしまうのかもしれない。