糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

「復元」の意味

先だって「アイヌ・アート」展で川村則子さんのトークをお聞きしたのだが、その時にアイヌ女性の手仕事で大切にされていることの一つに「復元」という行為があることを知った。川村さんの作品は、絵画的でモダンな作品が多いように感じられたが、それでも古い民族衣裳を復元することを通して、自己の伝統とのつながりが担保されているようだった。

伝統的な手仕事を学んでいる人たちにとっては、比較的珍しくない「復元」という作業は、単に古いモノを元に戻すことが目的ではなく、その作品に残る手の痕跡から本来あったはずの技術を習得することに意味があるとされている。

なぜ、そんなことをし続けなければならないのか・・・。

 

チカップ美恵子さんのテクストからその答えが見えてくる。

「本来なら、祖母から母へ、母からその子どもたちへと受け継がれてきたイカラカラも同化政策の下ですべて禁止されてきた。私たちはアイヌ民族でありながら、アイヌ語をはじめとするすべての文化をもぎとられたままの日々を送らなければならなかったのである。」(p.45)

チカップさんのお母さまはイカラカラをするためにおばあ様の古い民族衣装を借りて、次のように言ったという。

「一針一針の真心は今なお立派に美しく残っている。何という感激であろうと、感謝しつつ、一針一針糸を運んでいるけれど、うまくいかない。」

古い衣裳の針目を見ながら、そこに作り手の心を思ったという。そしてチカップさんも古い写真をたよりに、曾祖母様のつくった民族衣装を復元したそうだ。

 

「復元」という模倣の行為を経なければ断絶してしまう文化がある。いや、むしろ断絶しつつあるか、断絶してしまったからこそ、「復元」という行為のみが頼みの綱なのである。ゆえに「復元」はしばしば文化の主体の正当性の証にもなりがちで、「伝統」なるものの継承の象徴的行為となる。

・・・難しい問題だが、極めて政治的な意味を孕むことは間違いない。