糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

徳永幾久の刺し子研究

服飾研究者の徳永幾久は山形出身で、刺し子をはじめとする民俗的な手仕事について重厚な研究を残している。圧巻は『民俗服飾文化 刺し子の研究』であろう。

 

徳永幾久『民俗服飾文化 刺し子の研究』衣生活研究会、1989年

 

この本の冒頭に彼女の印象的なテクストがある。この本全体を総括するような、また東北の手仕事に長く関わってきた研究人生を思わせるような、素敵な文章なので引用しておきたい。

「刺し子とは、とくに北国の妻女たちの、生きるための小道具の一つであったと思う。生まれついたその土地の風土・習俗・時代背景・社会経済機構等々に左右されながらも、それぞれの仕事のなかで、その人ならではの様々なかたちの刺し子を完成させたのである。

刺し子には、妻女としての立場から、家業を支える目的で刺されたものが多いが、どの刺し子にも、人間と自然、人間と社会との共生物としての意識がみられるのは、まことに興味深いことである。女が生きるという、道の厳しさをみつめながら、妻女たちが暮らしのなかで学んだことを、無言のうちに語りかけてくるのである。

妻女たちは、刺し子を通して、何を訴えたかったのか。何を希い、何を提示したかったのかー

この生活史の小道具たちは、つましくとも一つ一つが鮮烈な生の物語をもって、今私の眼前に並んでいる。」

 

とてもいい文章だと思う。どれほど多くの布の手仕事と向き合ってくれば、こんな風に気負い無く、しかし真摯な姿勢で語れるようになるのだろうか・・・。

おそらく徳永幾久だけでなく、多くの手工芸研究者たちは、こうやって針目や布を見つめながら、それが制作された背景や作り手の心情を読み解いてきた。時に誤解や偏見も含むテクストも散見するし、一方で時代をいやがおうにも反映してしまう時もある。ゆえに、上から目線になったり、気負ったりすることは、自分も含めて常にあり得るわけだが、この徳永幾久のテクストはそんな雰囲気を感じさせない。

いつか、こうやって語れるようになりたい・・・というひとつの目標でもある。