「洋裁」の最初の記録
『明治文化史』第12巻の「洋裁」の項目もなかなか面白いが、どうも「洋裁」=ミシンというこだわりを感じる文章である。
- 作者: 開国百年記念文化事業会
- 出版社/メーカー: 洋々社
- 発売日: 1955
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一応「洋裁がすべてミシンばかりでないことは橋本玉蘭斎の『横浜開港見聞誌』の中にもみえるところであるが・・・」と断り書きがあったりする。(p.47)
- 作者: 橋本貞秀
- 出版社/メーカー: 名著刊行会
- 発売日: 1967
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さて、最初の洋裁(「舶来物仕立」と書かれている)の記録は・・・
「豊臣秀吉が文禄年間九州の名護屋より帰坂する際、「諸大名の間にポルトガル風の服装をつけるもの多く、これを調えるため長崎の裁縫師達は多忙を極め、京都まで随行した」ことがルイス フロイスの書簡に報ぜられているが(『十六世紀日欧交通史の研究』)、おそらく舶来物仕立の最初の記事であろう」(p.47)
- 作者: 岡本良知
- 出版社/メーカー: 弘文荘
- 発売日: 1936
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おおお・・・。確かに開国以降の西洋文化の受容に引きずられていると、フロイスの書簡などは読まないわけだが、すでに日本は西洋文化と接触しているわけだから、さもありなん・・・である。
長崎の裁縫師たちは、いきなり洋服の仕立てをさせられてしまったのだろうか。その混乱状況をもう少し知りたい。