糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

明治の裁縫―和裁

『明治文化史』は言わずと知れた明治史研究の大著で、私の関心は大抵第12巻「生活」に収録されている。

明治文化史〈第12巻〉生活篇 (1955年)

明治文化史〈第12巻〉生活篇 (1955年)

「和裁」の項目には次のように書かれている。(要約)

古くは女のたしなみは機織・裁縫だったが、明治期には機織はともかく和裁はみんなできた。早い人は6歳くらいから裁縫を始め、全国的には11.12歳くらいから始めたそうだ。最初は運針、その後は裁縫の上手な人から習ったという。

教育の場は学校の裁縫教育と家庭的伝習で、その違いは、家庭では必要なことから教えてもらえて、学校では新式の基礎から教えてもらえたらしい。(pp.45-46)

 

「革新的な裁縫の一斉教授は、仙台の朴沢三代治の松操私塾をもって最初とし、ついで東京の家政大学の前身である渡辺裁縫女学校が始まった。」(p.46)

 

なるほど、裁縫の一斉教授というと、やはり渡辺裁縫女学校が頭に浮かぶが、どうやら仙台ではもっと早く始まっていたようだ。

で、調べてみると現在の明成高等学校だということ。現在は共学で、宮城県最古の高等学校なのだそうだ。

明治12年 松操私塾を仙台市本荒町に創設。
昭和2年 宮城県が師範科を小学校裁縫専科正教員無試験検定校として認可。
昭和12年 財団法人朴沢松操女学園を設立。文部省が、高等師範科を裁縫科中等教員無試験検定校として許可。
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残念ながら、学校のホームページでは戦前までの学校のことはこの程度しか書かれていないが、実は史料をたくさんお持ちなのだろうか・・・。