糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

ミシンの導入

1868年2月24日の『中外新聞』(1868年(慶応4),幕臣柳河春三により発行された日本最初の邦字新聞。四五号で発禁。69年(明治2)再刊されたが,翌年柳河の死により廃刊。 )には、次のような記事があるという。私の出典はあくまで『明治文化史』第12巻である。

明治文化史〈第12巻〉生活篇 (1955年)

明治文化史〈第12巻〉生活篇 (1955年)

「西洋新式縫物器機伝習並に仕立物之事、右器機はシウインマシネと名づく精巧簡便の品にて近来舶来ありと雖も用法いまだ世に弘らず依て去年官命をを蒙り、横浜に於て外国人より教授を受け、尚又海内利益の為に伝習相始め候間、望の御方は開成所へ御尋なさるべく候、付ては伝習の序、何にても註文次第廉価にて仕立物致すべく候、依て此段布告に及ぶものなり。慶応四年二月開成所に於て遠藤辰三郎」(p.47)

 

ミシン=ソーイング・マシンなのだが、「シウインマシネ」という言葉が何ともチャーミングで思わず笑ってしまった。そう聞こえるのだ。きっと。

 

それはともかく、ミシンの伝来が思いのほか早いのがわかる。西洋の情報に詳しいとはいえ、すでに1868年に中外新聞で報じられているわけだから、言葉の伝来よりもはるかに早く、道具としてのミシンは認識されているのだ。

 

また明治4年には浅草の奥山に「西洋から来た物を縫う機械」の見世物があり、大入り満員になったそうだ。他に説明すべき言葉がなかったのか、それともそう説明するのが適切だったのか。確かに「物を縫う機械」であることに間違いはない。

 

ということで、モノと名前はなかなか一致しなかったようだが、それでも女性たちが手縫いを続けるしかなかった裁縫という領域に、黒船ならぬミシンが登場したことは、さぞかし大きな転換だっただろうことが読み取れる。