糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

ヴェルディエの「裁縫女」―学校の裁縫教育

(つづき)

牧場での編物と並行して、ミノの学校教育の中で、少女たちは裁縫を習った(というが、こりゃ徹底した手仕事教育だ・・・と私はだんだん嫌な気分になっている)。

19世紀末から20世紀初頭の教育学者たちは「裁縫の授業は、女子教育、あらゆる女子の教育の一環として行われるべきである。いかなる経済的境遇におかれても、裁縫は有用である。ある者には生活の糧となるだろうし、ある者には時間を費す方法となるだろう」と言ったそうだ。(pp.172-173)

・・・って、近代日本の言説とそっくりで本当に嫌になる。

そのあと、フェヌロンを引用して次のように言う。

「女子は無知であるがゆえに退屈し、悪気なしにできることはいったい何なのか、わかっていない。」「身分の高い」女子の教育では、通俗的には裁縫に求められる役割を、お絵かきに与えている。「お絵かきは女の特権である。身分の高い婦人の手をふさぐと同時に、精神をもかかりきりにする・・・。」ルソーにとって、女子教育を針仕事からはじめるのは、少女の「自然の」性向にしたがうだけである。

で、ルソーが言っているのは・・・

「ほとんどの少女は、いやいや読み書きを学ぶ。しかし、針を渡してやると、いつもよろこんで覚えようとする。自分はもう大きいのだと思い、いつの日か、この技術で自分を美しく飾れるのだ、と、楽しい想像をする。このようにして突破口ができると、そこから容易に道は開ける―裁縫、刺繍、レース編み、と、自然につながっていく。」

さすがはルソー・・・やっぱりルソー。一体なんの突破口が開かれるのやら。

こうやって事例をみると、実は裁縫と絵画って女性にとっては同じ機能を持つものとして奨励されていたこともわかってくる。「手をふさぐ」という目的があるわけだ。「今は違う!」「日本は違う!」って思う人もいるかもしれないけれど、ちっとも違ってないと思うのだ。もちろん、そのままの意味が通用しているわけではないが、両者は同じように女性的なものとして機能しているし、お稽古事や趣味として女性に奨励されている。私たちの文化も、こうした事例と重なりつつ、ズレも持ちつつ、意味を継承していると考えてよいのだと思う。

女のフィジオロジー―洗濯女・裁縫女・料理女 (1985年)

女のフィジオロジー―洗濯女・裁縫女・料理女 (1985年)