大正から昭和前期の洋裁教育
小泉和子『洋裁の時代』の「大正から昭和前期の洋裁教育」の項では、洋裁が身近になっていく社会の変化が紹介されている。この時代を戦後、洋裁学校ブームが起こる前史であるとしている。 (pp.24-25)
- 作者: 小泉和子
- 出版社/メーカー: OM出版
- 発売日: 2004/03
- メディア: 単行本
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洋裁受容の一つの契機は、関東大震災を契機とした「簡易服」の誕生。もう一つは女学生・小学生・職業婦人の洋服への移行。いずれも、高度な技術を要しない衣服の登場によって家庭洋裁が身近になった現象と位置づけている。
「簡易服」とはアッパッパ、ホームドレス、ハウスドレスと呼ばれる直線断ち、直線縫いが中心の衣服。アッパッパについては中込省三「簡単服の系譜」(和洋女子大学紀要家政系編35.191-198.1995)の中で次のように述べられている。
「大正12年9月1日、関東大震災が起こり、東京、横浜などが灰塵に帰した。この災害の教訓として、改めて洋服の機能性が見直された」
「この頃、アッパッパが、突然世にあらわれた。「日本婦人洋装史」の年表には大正12年とある。アッパッパが震災後にできたのはたしかだが、9月という月を考えると、大正12年という年は疑問に思う。
大正13年8月に国民新聞がアッパッパに関する記事をかかげているから、13年の夏以降はたしかである。」
「このアッパッパは三つの画期的な点がある。第1は簡単服でありながら、これは、従来のような、子供服ではなく、成人の女性が着た服という点である。第二は、これが既製品(と)して供給されたことである。第三には、この服は、もめんで作られ、夏の暑い時期だけに着られて、秋になるとキモノになったことである。ユカタの代わりのような感覚で着られたのであろう。」(p.195)
・・・という記述を読む限り、簡易服は基本的に関東大震災という天災と強く結び付けられて誕生したと認識されていることがわかるし、これが明確に「洋装」と定義されていることもわかる。もちろん過渡期的なものであるとは意識されているようだが。
面白いのは、小泉氏は家庭洋裁普及の契機として捉えているのに対して、中込氏は「既製品」として捉えている認識の差があること。また、夏限定で浴衣の代替であるという点から考えると衣生活習慣から考えるとむしろ「和服」の擬制ではないのかと思えるところである。形状から洋服と認識されがちだが、そのあたりまだまだ異論があるのかもしれない。
となると、家庭洋裁の普及=大正期の簡単服の流行という図式自体、とてももろいものに感じられるのだが、実際のところどうなのだろう。