「下北にアイヌの人々が暮らしていた裏付け」
田中忠三郎の『物には心がある。 消えゆく生活道具と作り手の思いに魅せられた人生』(アミューズ エデュテインメント、2009年)の続き。「下北にアイヌの人々が暮らしていた裏付け」(pp.118-119)
「川内町の山麓に「隠れ里」と呼ばれた集落があって、明治初年までアイヌの人たちがひっそり住んでいた。脇野沢村には「脇井ハッピラ」なるアイヌの首領もいたのだと言う。」
田中は脇野沢村に通い、脇井ハッピラの屋敷跡から出土した刀の鞘を持つ人に会う。本来下北で発見されるはずのない鞘は、鎌倉から室町時代に製作された蝦夷拵えの腰刀であると判明し、後に県指定文化財として保管されたという。
確かに下北にアイヌのコタンがあり、脇井ハッピラという人物が実在していたということだ。
なるほど・・・。補足文献が読みたいところである。