糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

お針屋

徳永幾久は近世の裁縫の教育機関として「お針屋」を紹介している。それがなかなか面白い。

徳永幾久『民俗服飾文化 刺し子の研究』衣生活研究会、1989年

 

当時、寺子屋の経営者は武士が多かったそうだが、女子が必要とする礼儀作法や裁縫は母親たちが教えていた。しかし、高度な裁縫技術はお針屋という私塾で学んでいたようだ。江戸期から裁縫の裁ち縫いの技は、女性の教養として必要な才能の要素として重んじられていた。

「裁ち縫いの道」「針の道」は、他の「道」と同様に、技を通して人としての道を教え、わざと心をひとつにする精神教育として扱われていたようだ。

「裁ち縫いを通して、人間形成を考え、時代の要求する女人像を作ろうとし、江戸時代の裁縫書には、裁ち縫いの実際や仕上がりの寸法は記入せず、むしろ裁縫は目的というより精神教育の手段として扱われていたようである。」(pp.74-75)

 

裁縫を「道」として考えるほどに、女性たちの人生は裁縫に価値が置かれていたことがよくわかる。しかも技術ではなく、精神教育重視。とはいえ、「一丁前」の議論からもわかるように、技術が高いということは、女性としての完成度を測られていることも確か。単なる精神修養ではあるまい。

それにしても、「寺子屋」という概念の普及度に比べて、「お針屋」という言葉はあまりにも知られていない。やはり「女の歴史」は幾重にも歴史から消されてきたという事実に気づかされる。