糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

アンギン

今、編み物というと棒針やかぎ針で毛糸を編むことをいうのが一般的だが、これは当然毛糸文化がなかった日本で伝統的に行われてきたものではない。明治期に新しく日本にもたらされた外来文化の一つである。

だが日本でも布地を織るのではなく編んで作るということがあった。

「脛巾・肌着あるいは時宗の僧侶の間で知られていた阿弥衣などはその製品で、信越国境の新潟県魚沼郡秋山村では江戸時代の終りまで、アンギンと称してかかる製法の衣服がつくられて、明治時代にもこれが少々残っていた。」(p.50)

明治文化史〈第12巻〉生活 (1979年)

明治文化史〈第12巻〉生活 (1979年)

実は、アンギンについては、『高志路』155号(昭和29年7月)に小林存の「アンギン考」という文章があるそうで、未見だがぜひ入手してみたいと思っている。新潟県民俗学会の会報ということなので、地域民俗学研究の蓄積には本当に驚いてしまう。

最近の研究でもやはり「民具研究」や「民俗学」という文脈のものが多いようで、次のようなものがヒットした。

井上 晶子「越後アンギンについて」民具研究 (146), 75-89, 2012-10

佐野 賢治「民具短信アンギンと釜神」民具マンスリー 45(5), 11003-11005, 2012-08

滝沢 秀一, 阿部 恭平「越後アンギン」民族芸術 (14), 72-83, 1998-04

 

ちなみにアンギンは、カラムシなどの繊維を織った布なのだが、私は織りと考えていたが、どうやら『明治文化史』では編み物の日本起源のような扱いであった。

新潟の十日町市博物館のホームページでもアンギンを紹介したり、越後アンギン伝承会などもあるようだ。

http://www.tokamachi-museum.jp/information02.html

この写真(十日町市博物館HPより拝借)にあるような織り方(編み方なの?)を見ると、一昨年平取町立二風谷アイヌ文化博物館で拝見したキナというゴザを作っている様子が思い浮かぶ。

おそらく、日本各地でこうした織り(編み?)の技法は存在していたはずである。畳表も同じ技法のはずなので、その広がりはかなり広範囲だと考えていいのではないだろうか。