明治の洋裁教育―女学校
- 作者: 小泉和子
- 出版社/メーカー: OM出版
- 発売日: 2004/03
- メディア: 単行本
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小泉氏の論に従って、初期の外国人女性主導の洋裁教育から、その後の男性専門家による洋裁教育(だが、ほとんど明らかにされてはいない)を見てきた。
日本における洋裁の展開・普及に大きな役割を果たしたのは、高等女学校の裁縫教育がある。高等女学校とは当時の男子が通った中学校に相当する中等教育機関であるが、明治中期になってようやく女子の中等教育が本格化されていった。すでに良妻賢母主義教育が推進され、高等女学校は基本的にはその理念に沿って設立されていくわけである。
洋裁の普及といっても、初期の高等女学校の裁縫教育では、やはり洋裁より和裁が中心である。それは生活上の必要性からの比重の問題が大きいと考えて良いだろう。
小泉氏は以下の二つの事項を取り上げている。(p.23)
1899(明治32)年 高等女学校教授細目に「子供服・エプロン」が取り上げられる
1903(明治36)年 文部省検定裁縫科試験に「洋裁」が教員資格取得に導入される
ただし、この頃には和裁教師が洋裁も教える状態がしばらく続いていたと記す。
「教授細目」とは、簡単に言うと現在の学習指導案のようなもので、戦前までの旧学校教育制度において、各教科の教材を各学期・各週に配分し、何を教えるのか、どのように教えるのかを示した詳細な案である。現在ではこの言葉は使われていない。この教授細目の中で「子供服・エプロン」と書かれているのであれば、全国の高等女学校の裁縫の時間にこうした内容で授業が行われたと考えてよい。 (ただしもれなく行われていたかどうかはわからない)
また、「文部省検定試験」は「文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験」の略で、1884(明治17)年から1948(昭和23)年まで行われていた中等教員免許の検定試験である。前述したように高等女学校は中等教育なので、女学校の裁縫の教員になりたいと思えば、この試験を受けなければならない。教員資格は本来「高等師範」卒業者が望ましいと考えられていたわけだが、高等師範生は人数も少なく、明治期には女子の高等師範はお茶の水しかないわけだ。しかし、国が女子の中等教育を拡充しようとすれば、当然それに見合うだけの教員を確保しなければならない。他の教科に比して、ほぼ女性教員で占有されていた家事・裁縫科目は、女子学生にとっては重要な就職の場だったと言えるだろう。
ついでに、この「文検」については研究も多々ある。
- 作者: 寺崎昌男,「文検」研究会
- 出版社/メーカー: 学文社
- 発売日: 1997/03
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「家事科」についてのみ特化した研究も面白い。
「文検家事科」の研究―文部省教員検定試験家事科合格者のライフヒストリー
- 作者: 井上えり子
- 出版社/メーカー: 学文社
- 発売日: 2009/12
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本題に戻ると、文検で洋裁が導入されるということは、少なくとも先々には洋裁を教えられる教員が必要になるということが意識されていたということだろう。1903年という段階では、まだ女性の平服は和服中心だったのだが、生活の中に次第に洋服文化が流入し始めていたことの証でもある。特に教授細目に「子供服・エプロン」とあったように、活動・労働という場において洋装の利便性が注目されたのではないだろうか。
また話題が逸れるが、この「文検」の問題そのものは非常に面白い。そして、今見てみると、今時の家庭科教員に課される技能よりはるかに高いものが求められていることがわかる。まあ、今時裁縫の高度な技能を教員に求める必然性がないということなのかもしれない。
せっかくなので、誰でもアクセス可能な資料を下に挙げておこう。大正期のものなので上記の時代とはずれるのだが、参考にはなると思う。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937564
国会図書館の近代デジタルライブラリーはとても便利で、近代初期の文献を探す時にはまずここにないか確認してみると良いと思う。この文献は、今の「赤本」みたいなものらしく、模範解答まで書かれていてとても面白い。
で、こんなことを調べている間に、ものすごいミシンのレポートが書かれたブログを発見。すばらしい・・・。
http://blog.goo.ne.jp/nipponianipponn/e/e787dc693ce1f7fb40de486ac9f4696e
http://blog.goo.ne.jp/nipponianipponn/e/8a8ad6780797cd4d2812f8b3af3f8174
内容はミシンの歴史に集約されているのだが、いやもう・・・脱帽でした。