糸・布・針を読む

自分は縫わないけど、縫ったり織ったりすることを考える・・・読書や調査の記録(基本は自分の勉強メモ)

手芸

「女性とデザイン」

1881年、美術理論家のルイス・F・デイは次のように述べている。 「現代の差し迫った問題の一つは、貧しい女性はどのように生計を立てるのかということである。(中略)美術関係の仕事、特に装飾芸術は彼女たちに開かれていると多くの人々は思っている。」 ノ…

「その裁縫の針は奴隷主たちの良心をちくりと突き刺すだろう」

すっかりこのブログからご無沙汰していたのは、私の仕事の仕方が集中的に読書をする時期とフィールドに出る時期があって、ここしばらく読書する余裕がなかったため。久々にこちらを更新。 さて、タイトルにある「その裁縫の針は奴隷主たちの良心をちくりと突…

ワークショップ「アプリケに挑戦」

6月30日(日)に一宮市立三岸節子記念美術館で開催されたワークショップを拝見しました。定員20名ということで、すでに満員御礼だったのですが、ちょうど欠席された方がいらして、急遽参加させていただけることに。 現在開催中の「宮脇綾子展」のことは先日…

「宮脇綾子 アプリケにつづる愛」

愛知県一宮市立三岸節子記念美術館で開催中の「宮脇綾子 アプリケにつづる愛」展。 まだ拝見していないのですが、図録の論文を書かせていただいていて、会期中に呼んでいただけることになっています。まだ準備中なのですが・・・。 私は宮脇綾子という女性は…

ヴェルディエの「裁縫女」―ピエースとマルケット

(つづき) ミノの学校では少女たちは卒業課題としてピエースとマルケットを作成したという。 ピエースは一枚の布の端から端まで裁縫の主な縫い目を刺したもので、様々な縫製の技法を集積したものだという。たぶん縫い方のサンプラーのようなものだと思う。…

信玄袋

手芸の話から少しそれるかもしれないけれど、『明治文化史』でちょっと気になったのが、「信玄袋」の話題。 明治文化史〈第13巻〉風俗 (1979年)作者: 開国百年記念文化事業会出版社/メーカー: 原書房発売日: 1979/04メディア: ?この商品を含むブログを見る …

娘組

『明治文化史』第13巻を一通りチェックしてしまうつもりが、あちこち関心が飛んでしまって、なかなか最後まで行き着けないので、ここからまとめて・・・。 明治文化史〈第13巻〉風俗 (1979年)作者: 開国百年記念文化事業会出版社/メーカー: 原書房発売日: 19…

「アプリケ芸術」という語り

ちょうど、アップリケ作家・宮脇綾子について調べている中で、過去の図録の中に切畑健が書いた文章があったので取り上げたい。 アプリケ芸術50年?宮脇綾子遺作展 (1997年)作者: 朝日新聞社出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 1997メディア: 大型本この商品…

近江家政塾の手芸展

近江家政塾は、1934(昭和9)年2月から、月曜日は手芸一般(おそらく洋裁を含む)、金曜日は料理が教えられていたようである。 1935年3月末には、生徒の成果作品を中心とした手芸展が開かれたという。内容的には、レース、刺繍、クッション、編物等が展覧さ…

近江家政塾

西洋文化の一部として手芸や洋裁が定着していく過程には、西洋人女性宣教師やミッションスクールの女性教師たち、さらには日本人のクリスチャン女性たちが深く関わってきた。このことを詳しく書いているのが川崎衿子『蒔かれた「西洋の種」』で、この中で近…

毛糸編物の普及

明治の手芸ブーム・・・もう少し詳細にみておくと以下のとおり。 『明治生活調査報告』によれば、家庭で毛糸編物を始めた早い例は、 明治11.12年、群馬県高崎市と福井県今立郡味真野村。 12~16年にかけて富山県滑川町、愛媛県宇和島、新潟県三面村。 明治も…

明治の手芸ブーム

今は手芸ブームだと言われている。1950~60年代にも、すごい手芸ブームがあった。それぞれの時代に手芸がブームになる社会的背景があるわけで、それを考えていくと人が手仕事に執着する意味などがわかるような気がする。 文献によれば、どうやら明治時代にも…

居留地の女性たち

開港と同時に外国人が日本に住むようになった明治初頭、かなり早い時期から外国人の名前は新聞などにも書かれるようになっていた。外国人男性の場合には、比較的公的な役職や仕事が残されている場合が多いが、実は外国人女性の場合、それが誰なのか知ること…

英国メイドの気晴らし

村上リコ『英国メイドの日常』では、メイドの気晴らしについても触れている。 「メイドたちが仕事のあいまにひとりでできる気晴らしといえば、縫い物や編み物や読書である。キッチンに書棚を置いて、読ませたいレシピ本、実用書、ためになる啓蒙書などを入れ…

昭和30-40年代のアップリケ

子ども向けアップリケは今もたくさん残っているけれど、おそらく全盛期は昭和30-40年代だろう。 宇山あゆみは『夢のこども洋品店1960-70年代の子供服アルバム』の中で次のように言っている。 「昭和30年代中頃から40年代中頃に大流行した可愛いアップリケ。…

心の糧としてのアプリケ

宮脇綾子のアプリケ観のかなり核心の部分は次のような点ではないだろうか。 「アプリケは、手先でするだけのものでなく、貴女の生活に結びつけていただきたいと思います。というのは、このアプリケをすることによって、心が豊かになり、生活にうるおいが、と…

アップリケの心がまえ

日本では近代以降、「手芸」をすることは単なる技術の習得ではなく、精神の陶冶(「陶冶」は人間形成の古い表現と考えていい)を目的としてきた。だから、常に手芸をする場合には、お行儀や型が重視されて、出来上がった作品は作り手の人となりが現れるとも…

アプリケとは(宮脇綾子の定義)

宮脇綾子は、自身の表現技法であるアプリケについて次のように解説している。 「Applique 刺繍の一種。布地の上に、小布を好みの模様にはりつけて、輪郭を刺繍でとめる簡単な手芸で、パッチワークpatchworkとも、布置刺繍ともよばれている。アプリケは、糸だ…

市井の一職人

もう一つ、宮脇綾子の言葉から。 「あまから手帖」の編集長だった重森守が次のように回想している。(p.12-13) 「「私のアプリケを芸術だと思ったことがない」といつも言っておられた。「でも、手芸家といわれるのもイヤ。市井の一職人で通したいですね」ー…

アップリケという仕事

デザイナーで服飾研究者の森南海子も宮脇綾子の作品について書いている。「作品」というより「仕事」について。とても面白い視点だった。次のようなエピソード。(p.10) 「戦争が終わったということは、私にとって空襲からの解放でした。防空壕へ出たり入っ…

小裂と遊ぶ

『アプリケ芸術50年 宮脇綾子遺作展』図録(1997年)を拝見している。 アプリケ芸術50年?宮脇綾子遺作展 (1997年)作者: 朝日新聞社出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 1997メディア: 大型本この商品を含むブログを見る この展覧会は、1997年に西宮市大谷記…

手芸か、美術か

アップリケは「美術」なのか「手芸」なのか・・・と考えても仕方がないことだと思いつつも、日本の美術の歴史を見る限り、この問題は実はとても根っこが深い問題なので、考えないわけにもいかない。きっと制作者たちはどうでもいいと思っているのだろうが。 …

アップリケの定義

宮脇綾子のことを考えつつ、アップリケの定義と歴史。 川辺雅美さんは次のように書いている。 「もともとアプリケはフランス語で、貼る、縫い付けるという意味があり、アプリケワーク、アプリケエンブロイダリーともいう。地布の上に別布や皮革・レースなど…

宮脇綾子という人について

宮脇綾子は1905(明治38)年に東京田端に生まれた。実家は会社を経営し裕福な生活を送っていたが、尋常小学校を終えた頃、事業に失敗し、家族は離散状態になったという。 母親は小さい妹と弟を連れて実家・花巻に帰り、宮脇綾子は母親代わりに家事を一手に引…

宮脇綾子のアプリケと『あまから手帖』

アップリケの作家として知られる宮脇綾子。彼女の作品を全国区にしたメディアの一つに『あまから手帖』がある。素朴な和布を用いながら、大胆な構図で描いた作品は、長年にわたってこの雑誌の表紙を飾ってきた。 『あまから手帖』の創刊(84年11月)から100…

『文化服装講座 手芸編』 総論 その2

山脇敏子の『文化服装講座 手芸編』の総論の続き。 戦争直後の語りであるという前提で読まねばならないが、服飾史の流れの追い方も興味深いものがある。 「従来の封建時代にあっては、美しい絵画や彫刻、織物などはすべて貴族という特権階級の人のみが玩味し…

『文化服装講座 手芸編』 総論 その1

著者である山脇敏子は総論として「手芸及び服飾手芸について」という文章を書いている。基本的には手芸の歴史を述べようとしているのだけれど、これはちょっと・・・と今の感覚では書けないようなテクストになっている。戦前の女性インテリって・・・。 なぜ…

ウェディングドレスも仕立てた時代

山脇敏子『文化服装講座 手芸編』から。 数枚カラーの口絵が付されているのだが、私の「昭和26年認識」とだいぶイメージが違うので驚いてしまった。 左から、厚地サテン、胸から腰にかけてキルティングしたツーピースドレス。 ヒモレースのブラウス。 プレー…

手芸の定義(山脇敏子の場合)

「手芸」といっても時代や文化によっていろいろ定義も内容も異なるのだが、『文化服装講座 手芸編』(昭和26年)の中で、山脇敏子は次のように書いている。 「私は糸と針をもって作るすべての手法を、ぜんぶひっくるめて手芸といいたいのです。もっとひろげ…

山脇敏子という人

『文化服装講座 手芸編』を書いた山脇敏子という女性。概論の書きっぷりがなかなか怖いので、ちょっと調べてみたのだが、大変面白い経歴。 1887年生まれ、肩書きは洋画家・服飾手芸家、研究家、教育者。 「山脇美術専門学院」を創設した、日本の服飾界の先駆…