アイヌ文様の伝播
斎藤祥子『北海道の洋服化への道―函館を中心に』(p.49~「アイヌの人たちの影響」)
「明治時代から大正時代にかけて、ニシン場ではアイヌの人たちとも一緒に仕事をしていることから、ニシン場に出かけている人は被服の上でも影響を受けている。」
「アイヌの人以外の北海道の人たちは、アイヌ衣服を日常生活にあまり着用した例はないが、東北地方や北陸地方から出稼ぎにやってきた人の中には、アイヌ衣服を物々交換や何かのお礼としてもらい、故郷に帰り自分の衣服として着用していた。また土産に持ち帰った物からアイヌ文様をまねたり、技術を覚えてきて家族に教えたりして、東北地方、とくに日本海沿岸地域で、サシコ模様とアイヌ文様と組み合わせて脚絆、手甲、前垂れが装飾された。『刺し子の研究』(徳永幾久、衣生活研究、1989年)には幾つもの実例がある。」
「昭和時代になると、衣服との交換はほとんどなくなり、日常品の小物と交換されている。これにはアイヌ衣服が以前ほど作られなくなったことにも原因がある。」
『刺し子の研究』は現在入手できない重厚な研究書。
http://www.honyaclub.com/shop/goods/clubjapan_goods.aspx?goods=10660613
アイヌの人とそれ以外の北海道の人では、衣生活の近代的展開に差があるようだ。しかし東北地方ではアイヌ文様の伝播の形跡が見られるという。それも次第に小物中心になっていき、現在では「衣服」は作られないし着られなくなっていったということだろう。
刺し子とアイヌ文様の組み合わせ、面白い。技法と文様の伝播をベースにしながら、何が伝わっていったのだろう。